FIG-0023 / 人物・神格(Figure) / 神格
フツヌシ
Futsunushi
確度 A学術的定説
別名:経津主神、斎主神、伊波比主神、布都怒志命、普都大神
古事記
登場しない
日本書紀
経津主神
日本書紀本文の葦原中国平定において主たる使者として派遣され、武甕槌神を伴って出雲に降り、大己貴神に国譲りを迫る。石上神宮の布都御魂剣と結びつき、物部氏の武の神格を体現する。香取神宮の祭神として鹿島の武甕槌神と対で扱われ、常陸国風土記には普都大神の名が見える。古事記に全く登場せず、平定の主役が記では建御雷神である点は、氏族の勢力関係の変化が最も明瞭に読み取れる差異とされる。
実在性の評価 神話的存在
古事記に登場せず日本書紀にのみ現れる神で、もと物部氏の祭神・祖神であったものが、台頭する中臣氏の祭神である武甕槌神にその神格を奪われたとする説がある。記紀の神格配置が氏族の政治的消長を映すことの代表例とされ、常陸国風土記には普都大神の名が見える。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
下総の香取神宮は延喜式神名帳に名神大として載り、鹿島とともに神宮号を用いた。大和の石上神宮はこの神と結びつく布都御魂剣を祀り、近世まで本殿をもたず禁足地を拝する形をとっていたが、1874年(明治7年)に禁足地が発掘されて剣身が出土し、これを神体として本殿が建てられた。古事記に一切登場しない神が式内の大社として東国に大きな祭祀圏をもつ点は、記紀の記述と信仰の分布のずれを示す。
原典に登場する箇所4節