FIG-0039 / 人物・神格(Figure) / 伝承上の天皇
神武天皇
Emperor Jimmu
確度 A学術的定説
別名:神倭伊波礼毘古命、若御毛沼命、豊御毛沼命、神日本磐余彦天皇、始馭天下之天皇、彦火火出見
古事記
神倭伊波礼毘古命(若御毛沼命・豊御毛沼命)
日本書紀
神日本磐余彦天皇
日向から兄イツセらと東へ向かい、浪速で長髄彦に敗れて兄を失い、迂回して熊野から大和へ入る。タケミカヅチの布都御魂剣と八咫烏の導きを得てナガスネヒコを破り、畝傍山東南の橿原宮で即位する。天孫の系譜を大和の地上支配に接続する建国の起点として置かれる。
実在性の評価 実在は否定的
那珂通世は1897年の『上世年紀考』で、即位を紀元前660年辛酉に置くのは中国の讖緯説に基づく編者の逆算であり、推古9年(601年)辛酉から1,260年遡らせた作為だと論じた。津田左右吉は神代から仲哀までの記述を皇室支配の正当性を与えるための造作とみたが、東征の物語を全面的に否定することも困難とする慎重な立場も残る。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
延喜式神名帳に神武天皇を祀る社の記載はなく、古代に神として祀られた形跡は確認されない。幕末の文久の修陵で畝傍山東北陵が治定され、1890年(明治23年)に橿原宮の伝承地へ橿原神宮が創建されて官幣大社に列した。1873年の紀元節制定と1940年の皇紀2600年の記念事業により、この天皇をめぐる祭祀は近代を通じて拡張された。
原典に登場する箇所29節
- 上巻 第43節ウガヤフキアエズの御子たち
- 中巻 第44節東征の船出と兄の死
- 中巻 第45節熊野に降された太刀
- 中巻 第46節八咫烏が道を示す
- 中巻 第47節宇迦斯兄弟の裏切り
- 中巻 第48節忍坂の大室での討伐
- 中巻 第49節久米の歌と師木の兄弟
- 中巻 第50節ニギハヤヒの帰順と即位
- 中巻 第51節伊須気余理比売を大后とする
- 中巻 第52節天皇の死後の争い
- 中巻 第54節神武天皇の年齢と御陵
- 神代下 第十一段 本文玉依姫と四柱の御子、神代の終わり
- 神代下 第十一段 一書第一幼名を狭野尊と伝える異伝
- 神代下 第十一段 一書第二三毛野命を第二子とする異伝
- 神代下 第十一段 一書第三磐余彦を第三子とし稚三毛野を末とする異伝
- 神代下 第十一段 一書第四磐余彦を第二子とする異伝
- 巻第三 第70節神日本磐余彦の系譜と東征の議
- 巻第三 第71節日向を発ち吉備の高島宮に至る
- 巻第三 第72節孔舎衛坂の敗戦と五瀬命の死
- 巻第三 第73節紀伊を迂回し熊野で軍が倒れる
- 巻第三 第74節高倉下の夢と韴霊の剣
- 巻第三 第75節八咫烏の導きと道臣命の名
- 巻第三 第76節兄猾の罠と菟田の高倉山
- 巻第三 第77節国見丘の八十梟帥と忍坂の大室
- 巻第三 第78節兄磯城の討伐と金色の鵄
- 巻第三 第79節饒速日命の帰順と長髄彦の死
- 巻第三 第80節橿原に都を定める詔と即位
- 巻第三 第81節皇后を立て、畝傍山の陵に葬る
- 巻第四 第82節手研耳命の変と葛城高丘宮
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