FIG-0056 / 人物・神格(Figure) / 伝承上の天皇
景行天皇
Emperor Keikō
確度 B有力だが異説あり
別名:大帯日子淤斯呂和氣天皇、大足彦忍代別天皇、大帯日古天皇
古事記
大帯日子淤斯呂和氣天皇
日本書紀
大足彦忍代別天皇
ヤマトタケルの父。日本書紀では自ら九州に遠征して熊襲・土蜘蛛を討ち、東国の平定を子に命じる。多数の皇子女をもち、各地の国造の祖に系譜を分岐させる。常陸国風土記・豊後国風土記・肥前国風土記にはこの天皇の巡幸として語られる地名起源譚が多く収められる。九州巡幸を古事記は一切記さず、遠征の物語をすべてヤマトタケルに集約する点が最大の相違である。
実在性の評価 実在は不明
「タラシヒコ」という称号要素が7世紀の舒明・皇極らの和風諡号と共通することから後世の造作とみる指摘がある一方、「オシロワケ」の部分は固有名らしいとして古い伝承を認める見方もある。水野祐の三王朝交替説では古王朝の末期に位置づけられるが、同時代の外部史料はない。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
常陸・豊後・肥前などの風土記に巡幸伝承が多数残り、各地の地名起源として語り継がれた一方、この天皇自身を祭神とする社は限られる。伝承の広がりと祭祀の薄さが対照をなす。
原典に登場する箇所22節
- 中巻 第69節垂仁天皇の后妃と皇子女
- 中巻 第76節景行天皇の后妃と八十人の御子
- 中巻 第77節大碓命、姉妹を偽って献る
- 中巻 第78節景行天皇の代に定められたもの
- 中巻 第79節ヤマトタケル、兄を殺す
- 中巻 第80節熊曾建を討つ
- 中巻 第82節東征を命ぜられ伊勢に寄る
- 中巻 第89節思国歌とヤマトタケルの死
- 中巻 第92節ヤマトタケルの子らとその後
- 中巻 第93節景行天皇の年齢と御陵
- 巻第六 第104節五十瓊敷命と石上神宮の神宝
- 巻第六 第107節大足彦尊の立太子と菅原伏見陵
- 巻第七 第108節即位と纒向日代宮、八十人の御子
- 巻第七 第109節筑紫巡幸(一)周芳の神夏磯媛と豊前・碩田
- 巻第七 第110節日向の高屋宮と熊襲、球磨・贈於の巡幸
- 巻第七 第111節武内宿禰の東国視察と日高見国の蝦夷
- 巻第七 第112節日本武尊、川上梟帥を討ち名を得る
- 巻第七 第113節帰路の吉備と難波の神、西州平定の復命
- 巻第七 第114節東征の命と斧鉞、伊勢の倭姫命
- 巻第七 第117節信濃の白鹿と胆吹山の神、能褒野の死と白鳥
- 巻第七 第118節晩年の巡幸と高穴穂宮、崩御と山辺道上陵
- 巻第七 第119節成務天皇、国郡の境と造長を定める