FIG-0057 / 人物・神格(Figure) / 英雄
ヤマトタケル
Yamato Takeru
確度 A学術的定説
別名:倭建命、日本武尊、小碓命、小碓尊、倭男具那命、日本童男
古事記
倭建命(初名 小碓命、倭男具那命)
日本書紀
日本武尊(初名 小碓尊、日本童男)
父の命で熊襲を討ち、その首長から「タケル」の名を贈られる。続いて東国に遣わされ、草薙剣と火打石で野火の難を逃れ、走水の海ではオトタチバナヒメの入水によって渡海する。帰路、伊吹山の神に敗れて能煩野で死に、白鳥となって飛び去る。常陸国風土記は倭武天皇の名で巡行を語り、古事記が悲劇の主人公として描くのに対し日本書紀は国家的必要に基づく派遣として描く。
実在性の評価 実在は否定的
古事記の伝える景行天皇との親子関係が系図上矛盾することなどから、4世紀から7世紀ごろの複数のヤマトの英雄を統合した架空の人物とする説が有力である。他方、宋書倭国伝が伝える倭王武の478年上表文の「東は毛人を征すること五十五国」という文言が四道将軍やヤマトタケル説話に対応するとみて、5世紀前期にはこの説話が成立していたと推定する立場もある。
この評価は、その存在が歴史的に実在したかについての学説の分布を示すものである。 実在しないことは、その物語が果たしてきた働きを少しも減じない。
祭祀と受容
尾張の熱田神宮は延喜式神名帳に名神大として載り、草薙剣を神体とする。中世以来、熱田大神を天照大神とするか日本武尊とするかで説が分かれ、近代に熱田大神を草薙剣に宿る天照大神とし、日本武尊を相殿神とする整理が定着した。和泉の大鳥大社は白鳥伝承にちなむ名神大社で、近江一宮の建部大社とともに近代の社格制度で官幣社に列した。
原典に登場する箇所25節
- 中巻 第69節垂仁天皇の后妃と皇子女
- 中巻 第76節景行天皇の后妃と八十人の御子
- 中巻 第79節ヤマトタケル、兄を殺す
- 中巻 第80節熊曾建を討つ
- 中巻 第81節出雲建を欺いて討つ
- 中巻 第82節東征を命ぜられ伊勢に寄る
- 中巻 第83節相模の野で火に囲まれる
- 中巻 第84節オトタチバナヒメ、海に入る
- 中巻 第85節足柄の坂で妻を思う
- 中巻 第86節酒折宮の片歌の問答
- 中巻 第87節ミヤズヒメと歌を交わす
- 中巻 第88節伊吹山の神に敗れる
- 中巻 第89節思国歌とヤマトタケルの死
- 中巻 第90節白鳥となって飛び去る
- 中巻 第91節従った膳夫、七拳脛
- 中巻 第92節ヤマトタケルの子らとその後
- 巻第七 第108節即位と纒向日代宮、八十人の御子
- 巻第七 第112節日本武尊、川上梟帥を討ち名を得る
- 巻第七 第113節帰路の吉備と難波の神、西州平定の復命
- 巻第七 第114節東征の命と斧鉞、伊勢の倭姫命
- 巻第七 第115節駿河の火攻めと草薙剣、走水に入る弟橘媛
- 巻第七 第116節蝦夷の服属と酒折宮の片歌、碓日坂の吾嬬
- 巻第七 第117節信濃の白鹿と胆吹山の神、能褒野の死と白鳥
- 巻第七 第118節晩年の巡幸と高穴穂宮、崩御と山辺道上陵
- 巻第八 第120節即位と系譜、穴門豊浦宮